
川越まつりにて 2010年10月17日 撮影:Kunio
お米が余るようになって久しい。ぼくが小学生低学年だった頃は、敗戦国日本はまだまだ貧しく、ご飯を残さない、一粒も残さずきれいに食べるようにと、煩く言われていた。白いご飯を食べられない同級生もいた。林間学校・臨海学校にお米を持参すると、麦の混じったお米の子が、クラスにひとり、ふたりはいたものである。もっとも、「麦飯だぁ」とかいうヤツはいても、いじめまでにはならなかったと記憶している。貧しかったからこそ、子供なりのルールだったのだろう。
しかし、長い日本の歴史を遡っても、現在のようにお米が余って、減反が長期間の政策になった時代はあったのだろうか。もちろん、豊作で採れすぎて米相場が値下がりした年もあったし、不作の年もあったし、他の作物に変えたことも少しはあったかも知れないが、基本的に水田は大切にされ続けてきたと思う。
もう10年以上前のことと思うが、東南アジアの少数民族の稲作をテレビで見たことがある。地面を少し掘っては種を撒き、雨季になると水が溜まってそのまま田んぼになる、地面が痩せて収量が落ちると、他の場所に移る。日本の水田とは異なった稲作の形態だが、当時でも一般的ではなかっただろうし、現在ではさらに行なわれていないかも知れない。
戦後のベビーブーム世代のぼくは、日本の稲作は弥生時代からと教えられた。現在では研究が進み、陸稲はもっとずっと早くから耕作されていた、水田耕作も2500年前からという。陸稲より水稲に移ったのは、大陸から伝わったとされるが、移った理由として考えられることは、水田の方が収穫量が高いことと、連作障害が少ないためだろうか。水田耕作により集落が定着し、集落の定着は農作業を容易にし、収穫量の増加により集落が発展した。
日本の地形では、川は急峻な山から一気に狭い平野に注ぐ。海岸線は複雑だし、山も急峻で複雑な地形をしている。ほとんどの平野は大陸のように大きく広がってはない。水田は底に粘土を入れて水平に造り、水も高い田から低い田へと順に流す必要がある。日本は梅雨もあり雨量には恵まれているが、複雑な地形のため、それぞれの地域単位で、季節の天候に合わせて、まとまった農作業を行なう必要がある。細長い島国の日本では、桜の開花時期が示すように、地域ごとの気候の差も大きい。
このような水田耕作が長い期間に渡って行なわれてきたことは、日本人に多大な影響を与えてきただろう。集落単位での農作業、集落単位でのまつりごと(政)。まつりごとは政治の政であり、その本質を表しているように思える。集落内での農作業は、いっせいに行なうことが望まれる、例えば田植えのように。日本が中央集権国家となったのは、明治維新からであり、工業化に成功した日本は太平洋戦争を戦えるだけの技術力も持った。しかし、第1次産業としての農業に従事する人も多かったし、主要産業でもあった。工業化が本格化したのは、やはり、太平洋戦争後であり、農村から多くの人たちが工場労働者となって都市部に送り込まれてきた。日本の工業化の成功の原因のひとつに、日本の稲作に培われた人的資源・組織的労働への適応性があるのではないだろうか。
若い頃には、西欧の狩猟社会とアジアの農耕社会という比較説明を良く聞かされた。そうかも知れないが、今ではあまりに大雑把過ぎるようにも思えるし、そういう話も聞かなくなった。アジアでも複雑な地形の島国で魚食の日本は独特の文化を形成したのではないだろうか。また、西欧社会を狩猟社会と決め付けるのもおかしい。水田耕作が普及するまでには、日本にも狩猟社会の時代があった。古くから伝わる祭りに登場する天地を統合する神、天伯は弓を持ち狩着を着ている。しかし、宗教に基づく文化として考えると、キリスト教の根底には、遊牧民の思考が影響している。羊は植物の根まで食べてしまうので、狭い一箇所に留まって飼育することは難しい。良い牧草のあるところにみんなが羊を連れてゆけば、そこは荒れ野になってしまう。もっとも上に書いたように、稲作にも連作障害を避けるために移動する形態もあるのだが、水田耕作により移動が必要なくなり、開拓コストが少なくなり、定住して耕作地を拡張する形になったのだろう。
ランボーの詩にも、よく羊飼い berger という言葉が出てくる。たとえばギリシア神話の神々を散りばめた初期の詩「一なるものを信じる…」には、「ひとりの「羊飼い」が、恐怖の空間の中を/この世界中のゆっくり歩く巨大な羊の群れを導いていくのか?」とある。この「羊飼い」は預言者の意味だが、ランボーはキリスト自身を暗示させている。フランス語で「よき牧者 Bon Berger 」とは、キリストのことである。
日本は多神教の国であり、田の神(農耕神)も地方により呼び名が変わる。田植えは神聖な行事であり、村人総出で祭り、風神は風媒花を受精させて実らせるだけでなく、植物の蒸散作用を助け豊な実りをもたらす、雷神は恵みの雨を降らせるとともに、電気で水田に窒素を固定する。秋祭りには、益鳥でもあり害鳥でもあるスズメも、山車に乗り、神楽を踊る。米を食べるネズミを捕ってくれる狐は、白狐となり「稲荷」と習合し、お稲荷さんとなった。お稲荷さんは、江戸時代になって、農業神だけでなく、商売の神にもなったように、時代とともに文化としての信仰は変わってきた。
稲作に培われた日本文化-思考様式も、明治維新以降の中央集権体制、富国強兵策、そして、戦後の民主化と高度の工業化、さらに経済的発展により様々な変化をしてきた。しかし、東日本大震災後の日本の姿は、稲作に培われた日本文化が、まだまだ強く根付いていることを示していると思う。
今、SNSを駆使してマスのトップスター、トップエンターテナーとなったのは、日本ではAKB48、アメリカではレディー・ガガ。それぞの文化の歴史を背負って登場したようにぼくには見える。


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