暑い日が続いている。休みで遊びに行けるのでない限り、食べ物の管理に気を使わなくてはならないので、ぼくは夏が嫌いだ。ぼくが小学校に上がる頃は、東京では30度を越えると新聞に取り上げられていた。近くの靖国神社や千鳥が淵は、木陰があって涼しかったし、夕方には気温も下がった。それでも、神田や銀座に行くと、緑地が少ないので暑くて閉口したのを覚えている。あの頃、なぜか学校では汗をかくと疲れるからと、運動中に水を飲まないように注意されたものである。人体が体温の上昇を止めるには発汗が必要なのだが、どうしてこういう注意がなされたのか、今更に疑問である。それでも、熱中症で倒れる子供がいなかったのは、まだ気温がそれほど高くなかったからかも知れない。夏休の日中に、コンクリートの上にいることも少なかったからかも知れない。臨海学校では、昼食後は昼寝の時間だったし、町内会の朝の体操も涼しい早朝だった。一般には冷房も電気冷蔵庫も無い時代だったから、暑い日中を避けて過ごすことは自然の知恵だったように思いだす。
今日は、亡くなった母の誕生日である。それだけでしかないのだが、ぼくは体格的には母を受け継いだ。母が亡くなったのは2年前の5月10日だった、死亡届では11日になっているが。あの日もけっこう暑かった。母の介護ベッドの置いてあるリビングは南向きで暑いので、エアコンが入れてあった。母のベッドの側にある温度計は27度だった。温度計は壁側のサイドボードの上に置かれていたので、ベッドのあたりは、もっと温度が高かったかも知れない。姉はぼくと違って寒がりで、さほど暑いとは感じなかたようだ。エアコンを止めると、母の体温が上昇した。ぼくがアイシングし、エアコンもつけた。しばらくすると母の体温は下がった。点滴で生存を維持している寝たきりの母でも、かなりの熱エネルギーの発生があるのだと、ぼくは驚いた。ぼくが自室に戻ってしばらくすると、母の体温は再び上昇した。寒がりの姉が体温が下がったから、もう必要ないと思ってアイシングをとってしまった。姉は室温が低いと感じてエアコンも止めたのだろうか、もはや定かな記憶は無い。姉に再び呼ばれて、ぼくは再び、母にアイシングを施した。母の体温は下がって小康状態になったが、体力を消耗したのか、その夜遅く他界した。
人が(恒温動物と幅広く言っても良いのかも知れない)生命を維持するには、体温を一定に保つ必要がある。エネルギーが発生するとき、熱も発生する。温度が上がりすぎると、液体に溶ける酸素の量ぱ減少する。気温が体温より上がると、体温維持に多大なのエネルギーが必要となり、生命体の衰弱、やがては死をもたらすのだろう。身体は体温は下げるのに、主に発汗という方法しか持っていない。いったい人類の体温は、彼らが発生した地域の最高気温に基づいて設定されたのだろうかと、今妄想している。
恒温動物は体温を一定に保つことで、広い範囲に分布したとされる。人類はさらに、さまざまなツールを用いて活動範囲を広げていった。それは、人類の発生させるエネルギーの巨大化でもあった。とにかく、今、地球の気象は高エネルギー化している。温暖化という言葉は、穏やかというニュアンスが伴うので、あまり妥当ではないような気がする。この主な原因がCO2にどの程度当てはまるかは、まだ確定はしていないようだが、少なくとも人類の発生させる巨大なエネルギーが地球の気象を変えているのだろう。


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